【少林寺拳法の発祥】誰が何のために立ち上げたのか?あゆみと展望も徹底解説!

少林寺拳法

この記事に書いてあること
  1. この記事を書いた人
  2. 少林寺拳法の発祥の経緯
  3. 少林寺拳法の創始者は?
  4. なぜ少林寺拳法を創始したのか?
  5. 少林寺拳法の総本山はどこにある?
  6. 少林寺拳法のあゆみ
  7. 少林寺拳法の普及活動
  8. 世界へ広がる少林寺拳法
  9. 2代目宗道臣の誕生
  10. 新生「少林寺拳法」
  11. 少林寺拳法の現在
  12. 少林寺拳法の未来

世界40ヵ国、180万人の拳士(登録拳士数)がいる少林寺拳法(2023年4月現在の公式発表)。
これだけの人に愛される少林寺拳法がどのようにして創始されたのか、ご存じでしょうか?
このコラムでは、少林寺拳法の発祥の経緯、誰がなぜ立ち上げたのかなどを詳細に解説します。

少林寺拳法のあゆみを知れば、少林寺拳法の素晴らしさを実感できるでしょう。
このコラムを読んで、少林寺拳法を習うかどうかの参考にしてください。

この記事を書いた人

少林寺拳法の発祥の経緯

「少林寺」の額が掲げられた朱色の門

少林寺拳法の発祥については、創始者の置かれた環境や事情などが大きくかかわっています。
創始者がなぜ少林寺拳法を創始することになったのでしょうか?
置かれた環境や心境、時代の流れは、どういうものだったのでしょうか?
少林寺拳法発祥の経緯について、以下に詳しく解説します。

少林寺拳法の創始者は?

少林寺拳法を創始した人物は、中野理男(なかのみちお)という日本人ですが、後に「宗道臣(そうどうしん)」と名乗りました。

宗氏は、1911(明治44)年、岡山県作東町(現在の美作市)生まれ。幼少期は母親が義父から暴力を受けているのを見て育ちました。その後、14歳で祖父のいる中国へ渡り、祖父から日本の古武術を習得したあと、母親の危篤の知らせを受けて帰国。病気がちな母親が新興宗教に傾倒し、神仏に祈るだけで亡くなったことなどで宗教や信仰のありかたに疑問を抱きます。
その後、1年を経ず、2人の妹と祖父も亡くし、17歳で天涯孤独の身となりました。

なぜ少林寺拳法を創始したのか?

幼少期に、母親が義父の暴力で苦しんでいた時、小さくて力のない宗氏は義父の暴力を止めることができませんでした。この時、「力がなければ人を救えない」ことを悟ったのですが、これが、少林寺拳法を創始するきっかけの1つです。

17歳で天涯孤独になったことから、国のために何かしようと考えた宗氏は、再び中国へ渡り、特殊工作員として活動しました。この時の縁で、嵩山少林寺の文老師と出会い、北少林義和門拳に入門し、修行に励んだのです。元々、武道の才分があった宗氏は全ての技を修得し、ついに北少林義和門拳の第21代正統継承者となりました。

その後、中国東北(満州)で敗戦をむかえ、ソ連軍の占領下の満州で1年を過ごし、地獄絵図のような惨状を目の当たりにしたのです。この時、「国家や政治は、その立場の人の【質】によって大きな差が出る」ことを経験で学びました。これも、少林寺拳法を創始するきっかけの1つです。「日本に生きて帰れたならば、正義と愛に基づいた教育で若者を育てよう」と決心したのです。

宗氏は運よく日本に帰国できましたが、帰国した日本は戦前や戦中とは真逆の無秩序な修羅場と化していました。道義も秩序もない弱肉強食の世の中で、若者は自信を無くし堕落した生活を送るような状態でした。

「これではいけない、これからの半生は未来のある若者の育成にささげよう」と心に決め、少林寺拳法を創始したのです。

少林寺拳法について詳細にまとめたコラムはこちら

少林寺拳法の総本山はどこにある?

宗氏は、習得した武術の技を自分で体系化し、新たに少林寺拳法を編み出しました。そして、ついに1947(昭和22)年、少林寺拳法は香川県多度津(たどつ)町にある宗氏の自宅で産声をあげたのです。
その後、仲間が増えたことで、1951年(昭和26)に宗教法人法に基づいて「金剛禅総本山少林寺」を開基しました。住所は、香川県仲多度郡多度津町本通3-1-48となります。

少林寺拳法のあゆみ

道場で撮影された道着姿と法衣姿の人たちの集合写真
画像引用:金剛禅総本山少林寺 綾瀬深谷道院

1951(昭和26)年に宗教法人「金剛禅総本山少林寺」となったのち、1963(昭和38)年 、社団法人日本少林寺拳法連盟に変わりました。その後、財団法人化し、2011(平成23)年に一般財団法人少林寺拳法連盟となりました。
1974(昭和49)年には、少林寺拳法世界連合(WSKO)が発足し、世界へ広まっています。

少林寺拳法の普及活動

少林寺拳法は、それぞれの地域において、様々な形で道場を開いて普及活動を展開しています。また、小学校・中学・高校・大学では部活動として、企業や官公庁ではクラブ活動として楽しく修行する場所が開かれています。地域では、独自の道場だけでなく、コミュニティーセンターや体育館を借りて練習する場もあります。

このように、老若男女問わず、楽しみながら「心と身体を整える修行」に励むことができるため、幅広い年齢層の方に人気です。
また、少林寺拳法の身体の使い方が介護にも応用できるため、セミナーを開くこともあります。

世界へ広がる少林寺拳法

1951(昭和26)年に産声を上げた少林寺拳法は、その理想に多くの賛同が集まり、瞬く間に日本国内に広がったのです。その後、1972(昭和47) 年に「国際少林寺拳法連盟」が発足し、アメリカ、ブラジル、インドネシア、マレーシア、スウェーデン、フィリピン、イラン、フランスなどが加盟し、世界へ広がることになりました。

1974(昭和49)年には、少林寺拳法世界連合(WSKO)が発足し、16 カ国が加盟する国際的な普及活動が加速していきます。

現在、少林寺拳法は国際大会も開かれるまでに普及して発展し、日本を含め40ヵ国が加盟国です。

2代目宗道臣の誕生

順風満帆に発展を続ける少林寺拳法でしたが、1980(昭和55)年に、宗道臣氏は、急性心不全のため、69歳で死去されました。
2代目宗道臣の名を受け継いだのは、娘の宗由貴(そうゆうき)さんです。
22歳の若さで、宗道臣氏が築いた少林寺拳法を背負うのはとても大変だったでしょう。

しかし、先代の意志を継ぎ、見事に発展を成し遂げました。
少林寺拳法の教えを忠実に広めるため、組織を刷新し、体系化したのです。

新生「少林寺拳法」

少林寺拳法のマークが入った白い道着

2代目宗道臣として由貴さんが行ったのは組織の刷新と、世界へ普及するために少林寺拳法のシンボルマークの変更でした。
私が大学生まで修行していたころは、シンボルマークが卍(まんじ)でしたが、2005年から新マークに変更されました。

 新しいマークは、◯(円)を2つ重ねて図案化した双円(ソーエン)が中央に配され、一方は「慈悲と愛」を、もう一方は「理性や力」を表し、重なることで「調和」を意味します。

また、まわりの盾は「真理」「正法」「正義」を護ることを意味し、その中にある4つの点は、東洋思想にある「天」「地」「陰」「陽」を表現しています。

このシンボルマークは、少林寺拳法の本質(力愛不二)※をよく表しており、世界の誰もが理解しやすいものです。

※力愛不二とは、「力がなければ人を助けることはできない。また、愛がなければ力を正しく使えない。つまり、『力と愛』はどちらも欠かせないものである」という教えです。

少林寺拳法の現在

現在、少林寺拳法は、「一般財団法人少林寺拳法連盟」「少林寺拳法世界連合(WSKO)」「一般社団法人SHORINJI KEMPO UNITY」の3つの組織で構成されています。

なお、2019年に、宗由貴さんの次男である宗昂馬(そうこうま)氏が代表となり、ついに3代目宗道臣が誕生しました。
また、2022年には、宗昂馬氏が一般財団法人少林寺拳法連盟の会長に就任されています。

少林寺拳法には流派はなく、1つの理念に基づいて、「同じ教え」「同じ技」「同じ教育システム」で修行できる「人づくりの行」です。これは、単なる普及や武術を学ぶことだけを目的とする団体でないことを示します。

少林寺拳法の未来

道場で座って指導を聞く子どもたち
画像引用:少林寺拳法千葉花見川スポーツ少年団

少林寺拳法の創始から75年が経過した現在、世界は景気動向、紛争など先行きが不透明な時代です。ある意味、戦後の混乱期に近い状態なのかもしれません。

こうした激動の時代をしっかり歩んでいくためにも、「自分のことは自分で決める(自分が拠り所となる)」「相手を思いやる」という少林寺拳法の理念が大切ではないでしょうか?

「半(なか)ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」という少林寺拳法の理念をしっかりと実現できれば、宗道臣氏が願った平和で豊かな国づくり、世界平和につながります。

これまでも、現在も、これからも「世界に唯一無二の少林寺拳法」が世界中で愛されることでしょう。

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