剣道の歴史をどこよりも簡単に解説!日本文化の紹介にも役立つ知識を

日本では古くから親しまれている武道。その中でも剣道は老若男女、多くの愛好家が日々の稽古に取り組んでいます。現在のような剣道が確立したのは明治時代以降ですが、それ以前にも剣道の基礎となる文化や時代の流れがありました。

そこで、本記事では剣道の歴史について詳しく解説します。

近年では海外でも日本文化が人気であり、海外に向けての情報発信も増加傾向です。1970年には国際剣道連盟(現・FIK)も設立され、多くの外国人が剣道の稽古に励んでいます。剣道の歴史を知っておくことで、海外の人に向けて日本文化を紹介する際にも有利です。

剣道への理解を深めるためにも、ぜひこの機会に剣道の歴史について学びましょう。

この記事を書いた人

野川正人

・剣道歴39年
・剣道 錬士七段
一般企業の会社員をしながら、地元中学校の剣道部外部指導員・少年団の指導者として日々活動中。自身の稽古にも継続して取り組んでいる。
剣道の疑問を小中学生や初心者の人にもわかりやすく伝えようとメルマガ、note、ブログにて発信。
2021年に著書「28回も不合格でしたが、なにか?」を執筆し、Amazonにて発売中。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0BSBB8SJ2

剣道の起源

剣道の起源を大きく分類すると、下記2つの由来があります。

・日本刀の成り立ち
・剣術から剣道へ移行

日本における刀の歴史は古墳時代までさかのぼりますが、現在のような日本刀が作られたのは平安時代です。日本刀は他国の刀や剣とは形が大きく異なり、彎刀(わんとう)と呼ばれる弓なりの形状をしています。

特徴的なのは反りのある形状だけではなく、片刃で刃の反対側には小高くなっている鎬(しのぎ)があることです。鎬によって、多くの技が使えるようになります。

かつて、日本刀は戦で勝つための剣術で使われました。剣術は人を殺すための技術です。しかし、剣術は時代とともに変化し、江戸時代からは、剣道具や竹刀が開発されたこともあり「活人剣」へと昇華します。活人剣は武士としての人間形成「武士道」へとつながり、さらに時を経て現在の剣道へと変化しました。

それでは、剣道の起源からそれぞれの年代における変遷を年表のように順を追って見ていきましょう。

剣道の原型ができるまでの歴史を振り返る

ここでは剣道の原型ができるまでの平安時代から江戸時代までについて解説します。

日本刀が現在のような形状になったのは平安時代です。剣道の起源は、生死をかけた剣術でした。スポーツの起源は遊びから派生したものですが、剣道の起源は遊びではありません。生業(なりわい)が起源のため、スポーツとは大きく性質が異なります。

剣術は生死をかけた戦いのため、少しずつ道具や刀を使った技が洗練されていきました。時代とともにどのような変化があったのでしょうか。平安時代から順に見ていきましょう。

平安時代には刀が直刀から反りのある形状に変化

平安時代(794年~1185年)の初期には直刀の刀が量産され、時代とともに反りのある形状へと変化していきます。さらに鎬造り(しのぎづくり)の刀が作られるようになりました。刀の製造技術も少しずつ高度なものへと変化します。

平安時代の刀は主に騎馬隊の武器として使用されました。当時の刀は細身で優雅な姿が特徴的です。大陸では直刀型の剣が使用されていましたが、斬るというよりも刺すことを目的としています。一方、日本刀は斬ることが目的です。斬ることに特化した目的により、反りと鎬のある日本刀の形状が作り出だされました。

反りを利用して刀身を引くように振り下ろせば、効率よく斬れます。平安時代中期以降は大陸とは戦い方や刀を扱う技術が異なってきました。

室町時代にはさまざまな流派が誕生

室町時代(1336年~1573年)のイメージは戦国時代です。厳密には戦国時代は室町時代末期に起こった応仁の乱(1467年~1477年)から安土桃山時代の織田信長の上洛(1568年)までとされています。

戦国時代になると、日本刀製作の技術は高度化しました。製造技術の向上に伴い、剣術も高度な技術が必要となります。さまざまな流派が誕生し、近距離で戦う技術も高度になりました。主な流派と剣豪は以下の通りです。

  • 一刀流:伊藤一刀斎
  • 新陰流:上泉伊勢守信綱
  • 鹿島新當流(かしましんとうりゅう):塚原卜伝

戦国時代は強ければよい時代。戦に勝ち続けた強い大名が生まれ、日本統一が進んだ時代でした。戦国時代が終わると、いよいよ平和な時代が訪れます。

江戸時代前期|剣術から活人剣へ

江戸時代に入ると平和な世の中となり、剣術の重要性が低下しました。しかし、武士は刀を携え、日々修練しなければなりません。この頃から、日本刀が武士の精神的象徴とされ始めます。日々の剣術修行においても、単なる刀を扱う技術ではなく、精神論が重視されるようになりました。

今までは人を殺すための剣術でしたが、活人剣(かつにんけん)へと昇華します。剣術は武士の心の修行であり、人間形成を目指す修練の道となりました。時代背景は多少異なりますが、「るろうに剣心」の神谷道場でも活人剣を理念としています。

江戸時代前期には、剣術に関する書物も増えました。中でも有名な書物は下記のものです。

  • 柳生宗矩「兵法家伝書」
  • 沢庵宗彭「不動智神妙録」
  • 宮本武蔵「五輪の書」

特に宮本武蔵の「五輪の書」は剣術や剣道以外の現場でもよく引用されています。解説書も多く出版され、現在でも多くの剣道愛好家が参考にしている書物です。

江戸時代中期から末期|剣道具や竹刀ができる

江戸時代中期から末期になると心の修行が重視され、安全に技術を身につけるための道具が考案されるようになります。最初に考案された道具は簡単な「防具」や「袋しない」です。

道具の考案により安全に稽古ができるようになり、稽古方法にも変化がありました。特筆すべきは「竹刀打ち込み稽古法」。打ち込み稽古法は剣道の直接的源流です。安全でありながらも激しい稽古ができるようになりました。

江戸時代末期になると、さらに道具が改良されます。現在のように4つ割りの竹刀ができたのも、江戸時代末期でした。試合も盛んに行われるようになりますが、現在のように3本勝負ではなく、10本勝負だったとのこと。

明治から昭和の歴史を経て現代剣道へ

1899年に竣工された京都武徳殿は現在も多くの剣道家に愛されている

江戸時代が終わり明治に入ると、武家社会は終りを遂げます。これまで日本刀を携えていた武士たちは、細かな階級が廃止されて士族となりました。また、武士であっても士族にはなれず、平民となった人もいます。

明治時代以降は刀の使用頻度が極端に減ったことで、「剣術」から次第に「剣道」へと移り変わります。現在のように剣道が体系化されたのもこの時代です。具体的に解説しましょう。

明治時代に剣道が体系化される

明治になり、最も大きな変化は1876年の廃刀令です。刀を携えることが禁止されました。武士という職業もなく、刀を持つこともなくなり、剣術は衰退します。しかし、剣術の得意な士族の者たちは警察となり、剣術に磨きをかけました。1877年(明治10年)の西南戦争における警視庁抜刀隊の活躍には目を見張るものがあったと伝えられています。

その後、日清戦争の勝利なども重なり、武術奨励の気運が高まりました。

「大日本武徳会」の設立

武術奨励の機運が高まり、大日本武徳会と各都道府県支部が設立されます。現在の全日本剣道連盟ならびに各都道府県剣道連盟の元となった団体です。大きな流れがあったため、わかりやすく年表にしました。

  • 1886年:東京高等師範学校(高師)が設立される
  • 1895年:大日本武徳会が結成される
  • 1895年:演武会開催(現・全日本剣道演武大会=京都大会)
  • 1899年:京都武徳殿竣工
  • 1905年:京都に武道専門学校(武専)が設立される


また、明確な資料が見つかりませんでしたが、この頃に段位称号の授与(範士・教士・錬士)や試合審判規則が制定されました。1995年に第1回が開催された全日本剣道演武大会は2024年に第120回を迎えます。本大会は「京都大会」の略称で親しまれ、全国や海外から多くの剣道愛好家が集る日本最大の剣道大会です。

「武士道」が海外で出版された

明治時代に発行され、今も世界で愛読されている書物が新渡戸稲造の「武士道」です。「武士道」は「Bushido: The Soul of Japan」のタイトルで1899年にアメリカで出版されました。

「武士道」は、日本の道徳観の根底に武士道精神があることを書いた書物です。海外では宗教教育がなされているが、日本では重視されていないことを不思議に感じた新渡戸稲造が渡米中に書き記しました。「Bushido」は海外で称賛され、その後日本に逆輸入された形です。

「剣道」ができた大正時代

「剣道」という言葉が使われるようになったのが、大正時代です。「武術」が「武道」に、「剣術」が「剣道」に統一されます。

1912年(大正元年)には、後の「日本剣道形」の元となる「大日本帝国剣道形」が制定されました。これまで、いくつもの流派が存在していたため、それぞれの流派にあった独自の「形(かた)」を統一したものです。

大日本帝国剣道形は流派の統合だけでなく、竹刀剣道の普及に伴い、刃筋を無視した打突を正す意味もありました。

剣道が禁止された第2次世界大戦後

第2次世界大戦では国民の戦闘訓練に剣道が導入されました。当時の剣道は実戦を想定していたため、戦闘に限りなく近いものであったといいます。そのため、剣道は「戦争の道具」とみなされたため、敗戦(1945年)と同時に競技の禁止を余儀なくされました。大日本武徳会も解散することになります。

その後、1952年(昭和27年)の主権回復後には「全日本剣道連盟」が設立されました。ただし、「剣道」という名称が認められず、「撓(しない)競技」として、体育・スポーツに取り入れられることになります。

剣道復活から現代剣道へ

現在の「全日本剣道連盟」として再スタートできたのが、1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約のあとです。その後、「撓競技」と「剣道」の2つの名称が使われることになりますが、1954年(昭和29年)に「撓競技」という名称が廃止され、現在の「剣道」に統一されました。

戦後の大まかな流れは以下のとおりです。

  • 1953年(昭和28年):第1回 全日本剣道選手権大会の開催
  • 1955年(昭和30年):国民体育大会の正式種目となる
  • 1957年(昭和32年):中学・高校の正課体育に採用される
  • 1962年(昭和37年):第1回 全日本女子剣道選手権の開催
  • 1970年(昭和45年):国際剣道連盟(現・FIK)の設立・世界大会の開催

現在では多くの女性や外国人にも人気があり、多くの地域で取り組まれるようになっています。1970年からは、世界大会も3年毎に開催されるようになりました。

剣道の歴史を知り後世に文化をつなごう

剣道の歴史を起源から知ろうと思うと、平安時代の刀について学ぶ必要があります。しかし、誰かに剣道の歴史を伝える際には、近代的な剣道についてのみ知っておけば良いでしょう。

とくに現代の剣道に近づいたのは明治時代以降のことです。武士が刀を持たなくなり、第二次世界大戦を経て現在のように競技化されたことを覚えておけば、豆知識として披露できます。

日本文化や武道、剣道について説明を求められた際には、参考にしてください。少しでも武道や剣道に興味を持っていただけたら幸いです。より詳しく剣道について知りたい方は、近くの剣道道場を訪れてみてください。

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